医師は傲慢?

その先日のNHKの討論で、ジャーナリストの伊藤隼也氏が「医師のことは医師しかわからないなんて傲慢」というような事を言っていましたが、そうでしょうか。
医師ほど傲慢でない職業人はないと思います。なぜなら、自分達のしている事が不確実なことだということを知っているからです。的確な診断がいかに難しいか。有効な治療法がいかに少ないか。なぜ効くのかいまだに解明されていない薬の多さ。
そして、誰でも関係なく病気や怪我になる事を知っている。ドラマと違い、実際の死はあっけなく訪れるものである。そして誰でも最後には必ず死ぬ。
付け加えると、人は簡単にミスを犯します。自分だって例外ではない。疲れるとミスは倍増する。いかにそのミスを水際で食い止めるか、それを日々考えているのが航空業界と医療界です。
傲慢でしょうか?
毎日、私は祈るような気持ちで仕事をします。とくに当直明けの朝は不安でいっぱい、夜、一日の仕事を終えると、その日が無事にすぎた事に感謝する。
タバコをやめない妊婦、真面目に治療しない糖尿病患者、お産はうまくいって当然と思っている人々。病院に行けばすぐに的確な診断がつき、最高の医療を受けて治るという幻想。あとから「ああすべきだった、こうしたら患者の死は防げたはず」と現場も知らずに仮定の積み重ねで医師を断罪する司法、なにより、この健康は永遠に続くと思っている方々。
こうした人たちのほうが、私から見ればよほど傲慢で、命というものを舐めています。
近代医療の恩恵が多くの人にいきわたりはじめてから100年ほどでしょうか。まだまだ医学などというものは、命の不思議さに比べればたかの知れたものだと思います。それでも一人でも多くの命を救いたくてがんばっているのが医師、看護師ではないでしょうか。もちろん多くの患者さんは、必死で病気を治そうとされていますし、そうした方の力になるのが喜びなのです。感謝されれば非常に嬉しいし、尽くして当然という態度を取られれば、もともとが規定外の勤務を良心でこなしているだけに余計に頭にきます。人間ですから。
そして、医学の不確実さは、医学を学んだものほど良くわかります。医師並みの過重勤務と、ミスの許されないプレッシャー、恐怖感は、やってみなければわかりません。なので、私は「医師のことは医師しかわからない」というのはある程度真実と思います。しかし、今まではあまりにもそれで終わりにしすぎていました。これからは、患者さん側とも認識を共有していく努力が必要なのではと思います。