福島事件第三回公判

今回は麻酔科医と助産師が証人尋問されたようで、他人事とは思えず恐怖を感じた。
麻酔科医の記憶があいまいだったため、尋問は長時間に及んだという。さらに検察が作成した調書では断言したように記載されていた事項を「覚えていない」と否定する場面もあったらしい。細かいニュアンスや『自信はないのですが』と話した事も、断言したように記載されたそうだ。

この先生は常勤医ではなかったように記憶しているから、外病院への出張麻酔だったのだろう。私も時々行っているが、使い慣れない麻酔器、成分は同じでも名前の異なる薬剤、見慣れないスタッフのなかで行う麻酔はかなりストレスであり、私ははっきり言って出張麻酔が大嫌いだ。
こんな慣れない病院で大出血でもしたら大変だ。何分で到着するかよくわからないが輸血をオーダーし、とりあえず点滴をもう何本か取って輸液を全開にし、ポンピングし、輸血を温め、帝王切開だったら薬剤を準備して全身麻酔に切り替え、見慣れない名前の昇圧剤をシリンジに吸って投与し、麻酔を調節し、血液検査をして崩れた電解質を補正し、かつやや落ち着いた時間に急いで最低限の記録をつける。
自分の病院だったら気心しれた同僚麻酔科医を集められるだけ集めるところだが、そこには自分ひとりしかいない。気が狂いそうになるほど忙しいだろう。意識は出血量を示す吸引ビンと、モニターに表示されるバイタルサインにほぼ釘付けであり、術野をじっくり観察できなくなる。正確にどの時点でどれくらいの出血が始まったとか、そんなことはじっくり見てられないし覚えてられない。記録につける時間すらない。あとから振り返れば、私もきっと『自信はないのですが多分・・・』と話すだろう。
そういった細かいニュアンスが全部はぶかれ、あたかも断言したかのように調書に記載され、一人の人を裁くための書類とされる。大変な事だ。裁かれる対象になったり、証人になったりする可能性を考えるだけで心が縮みあがる気がする。誠実に医師の仕事をしているだけでその可能性があるのだから恐ろしい事だ。
 
医師は、患者の病気を治療することで評価される。検察は、犯罪者を告発することで評価される。
しかし我々は、病気でない人を無理やり病人に仕立て上げて治療することはない。今福島地検がしていることは、犯罪者でない人間をむりやり犯罪者に仕立て上げて断罪するという行為であると思う。