色々と思うこと

今日は割とまったりとしていたので、色々と昔のことを思い出していた。
高校生の頃、アルフォンス・デーケン神父の講演会を聞きに行った事がある。「生と死を考える」とか、そんな題だったと思う。死の受容の仕方とか、ホスピスとか、そう言う話題だったが、その頃の私にとって死の受容は内容が難しかった。あのキューブラー・ロスも自身の死の受容は出来なかったようだし、並大抵なことではないと思う。
その講演で心に残った言葉は生に関すること。
「生きているのは当たり前と思っているでしょうが、明日、車にはねられて死ぬかもしれませんね。そう思うと今日という日が大切になるでしょう。」
  
荘子の言葉にもあるが、「死」があるということは、前提として「生きている」ということだ。それがどんなにすばらしいことか。
無事に生まれて当たり前ではない。動物はみな命がけで生命を生みだす。
私は臍帯巻絡・胎便吸引で帝王切開で生まれた。母親はもちろん、産科の先生方が努力して積み上げてきた周産期医療なしでは生まれることが出来なかったと思っている。
だから今回のように理不尽に産科医が逮捕され、周産期医療が崩壊していく事は非常に悲しい。今度は命を生み出す側になりたいのに。