なぜブログを書くのか

このテーマで書いておられる方は沢山いらっしゃるのですね。色んな意見があって参考になります。
以前ぱろすけさんの日記で、『なにが楽しくて自分のプライベートを全世界に公開しなければならないのか?』という文を目にして以来、しばらく考え続けてきたのだけど、結局自分はなにかしら文章をアウトプットしないと生きていけない人間なんだと思う。日々の記録とか、情報管理のツールではなくて。
この癖は高校生の頃から始まった。当然そのころは、アウトプットのツールはノートしか無かったので、机の奥に厳重に隠された日記帳に、考えたことや感じたこと、時には、下手くそな詩を綴っていた(赤面)。(でも、以前飲み会で相当酔っ払ったときに友人達とそういう話になったのだが、日記や詩を書いてる人は意外に多い…本当だ!)この習慣は大学を出て働きだしてもしばらく(つまりブログを始めるまで)続き、ノートはゆうに十数冊を超えた。たまに考えていることをアウトプットしないと息が詰まってしまう。下手なのに、文章を書きたい衝動にかられるのだ。
その内容は、人の目に触れることを全く前提としていないので、まさしく脳内ダダ漏れ状態。その頃感じていたあせりとか幼い正義感とか、見た夢の記録、友情から恋の話まで盛りだくさんで、読み返すとあまりの恥ずかしさにのたうちまわってしまうような代物。耐えられなくなると、古いものから丁寧にシュレッダーにかけては捨てていた。
全世界に公開されるブログの良い所は、文章に、人の目に触れるという自己規制が働くことだろう。耐えられなくなるほどの恥ずかしい日記を書くことがなくなるのが良い。自分のプライベートのうち、フィルターをかけて出してよいものだけを公開している。特にここ1,2年は、リアル知人で見てくださっている方が増えたので、よりいっそう慎重になる。
これが友人限定のmixi日記だと、もう少し規制は甘くなって、あまり何も考えず書いてしまう。基本的にマイミクは直接の知り合いなど信頼できる方ばかりなので、安心して何でも書けるというのもある。これが自分ひとりに限定されると、なぜあのレベルまで落ちるのか…。

つらつら書いたけど、自分がブログを書く理由は、書かずにいられないから、かなあ。それに、人の目に触れない文章は、自分ですら読むに耐えないものになってしまうから。以上です。